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ロス橋 The Ross Bridge

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2008年7月25日(金)
ロス橋 The Ross Bridge
ロス Ross 1号線
ミッドランド Midland
タスマニア Tasmania
この場所の地図 Googole Map

きょうのメルボルンは、穏やかな冬の日ざしが射す良い天気でした。気温は、14度ほどでした。

昨年の今日2007年7月25日(メールエクスチェンジビル

ロスの町は北の都市ランセストンから1号線を80km南に下り、幹線道路から5kmほど東へ行った場所にあります。
更に南に120km行くとホバートの町があります。

 ロス橋 The Ross Bridge
ーストラリアの歴史的な橋の中でも最も美しい橋のひとつと言われています。
この橋は、それ以前の橋が洪水で流されたため、1830年頃、タスマニア植民地のジョージアーサー総督の命令によって建築が始まりました。設計は、植民地政府の建築技術者John Lee Archerの作品です。

主に囚人の労働力によって建設されました。囚人への発奮のため、監督官は、石工であったDaniel HerbertとJames Colbeckは、橋の完成の暁には特赦を与えられています。東側の土手側の橋の南側にDaniel Herbert が自分で書いたと思われるサイン入りの似顔絵が残っています。建設開始後、1年3ヶ月後の1836年に橋は完成しました。メルボルンにタスマニアからの植民が開始されたのは、1835年です。

  タスマニアの中央部のミッドランド地方(Mid land)の農村部。
手前は、ロスの町の北側を流れるマッコーリー川(Macquarie River)。

John Lee Archerの作品
陸軍兵舎 Anglesea Barracks
タスマニア州議事堂 Parliament House
ホバート監獄チャペルPenitentiary Chapel
ホバートBattery Point St George Charch

この橋のユニークな点は、ケルト(Celtic)のシンボルや動物、人物などを描いた186個のアーチ型の石材が使われていることです。
ロスの町の中央部にあるウール博物館で、代表的な石材を見ることができます。

 1807年にこの地を最初に探検したのは、植民地調査官チャールズグリムCharles Grimes船長です。
当時のシドニーにいたNSW州総督Lachlan Macquarieは、グリムの報告に刺激を受けて1811年にこの地を訪問しています。その際にこの川の名前が名づけられました。
チャールズグリム船長は優秀な探検家であり、1801年にNSW植民地のハンター川(Hunter River)、1802年にキングアイランド、1803年にはポートフィリップを探検し、同2月2日には後のメルボルンとなるヤラ川を発見して探検しています。
ヤラ川の探検後には、いったん、職を辞してイギリスへ帰国しています。
そして1807年にタスマニアの探検をしました。1808年にはラム酒の反乱に立ち会っています。

フランクストン参照  ラグーン桟橋参照

ラム酒とセクション8参照

 ロスの町。
手前の右側奥の屋根は、石切り場跡。

左側はボート乗り場。

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