北部高原地区

壁画の町 The Mural Town

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2008年7月3日(木)
壁画の町 (The Mural Town) 
シェフィールド Sheffield
北西部内陸部
タスマニア Tasmania
この場所の地図 Google Map

今朝はまだ少々、雨が残っていてかなり寒い朝でした。昼ごろから段々に晴れてきて午後には快晴となりました。

昨年の今日2007年7月03日(ロンドンストアービル London Store

このタスマニアの画像は、2008年2月撮影です。

 シェフィールドの最大の観光名所は、町中のあちこちにある壁画(Mural)です。この壁画と美しい田園の町を見るために毎年、12万人が訪れます。
この地区をを開拓したのは、ヴァンディーメンズランド(タスマニアの旧名)土地公社です。最初は、羊毛などを扱う数名のロンドンのビジネスマンによって作られた会社ですが、英国東インド会社、英国アメリカ植民地などと同様に英国王室憲章(Royal Charter)で保障された国策会社となりました。1825年にタスマニア北西部を与えらた同社は、強引に開発を進めます。
1840年代までにほとんどの土地を開発しますが、同時に先住民族アボリジニとの多くの衝突を産みました。シェフィールドの名づけ親であるEdward Currが当時の土地公社の責任者でしたが、武力で対決する方法を選び、この地に住んでいたアボリジニをかなりの残忍な方法で虐殺し、ほぼ全員を全滅させています。
タスマニア州政府公式Web

  中華料理店にも壁画が描いてあります。
シェフィールドの町は、クレードル山などの中央山脈のふもとに位置しています。
1914年タスマニア州政府は、山脈からの豊かな水源を利用するために、水力発電所の建設を開始します。Waddamana Power Stationです。それ以前にも民間の水力発電者がありましたが、州政府の発電所に吸収されました。1945年の第二次世界大戦後には、水力発電所のダムの建設工事の仕事のために多くの人がシェフィールドや周辺の町に移民してきました。NSW州のスノーウィマウンテン(Snowy Mountain)などの事業も同様です。

 Milk Bar Moochoo

1980年代までダムの建設や水力発電所の拡張工事が続きました。
その頃から段々と環境保護団体の勢力が強くなってきます。
1990年代になると政治家も環境保護を主張するようになり、ダムの拡張はもはや不可能な状態になってきます。一方でコスト競争力がある火力発電所の建設が相次ぎ、次第に水力発電所の必要性も小さくなってきました。
現在でも水力発電所のコントロールセンターは、シェフィールドにあります。

  南米原産のリャマとオーナーのおじさん。2枚前のおじさんもそうですが、どことなくタスマニア的です。

SMH Com

The Age


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